職場で人を「使える・使えない」で見てしまう人へ|禅に学ぶ人間関係の手放し方

PR 本ページにはアフィリエイトリンク(広告)が含まれます。

💡 教育担当の方へ:新人指導向けの60分研修パッケージも用意してます

職場で、新人を見たときに「使えるか、使えないか」で品定めしてしまう。 誰かと比べて、勝手に優劣をつけてしまう。 できる人にイラっとして、できない人を見下してしまう。

そんな自分に、ふと嫌気がさすことはありませんか。

私は看護助手として病棟で8年働いてきました。 その中で、何度も同じような人間関係の構図を目にしてきました。

「使える新人」と「使えない新人」、できる人とできない人、評価する側とされる側。

でも、ある二人の新人を見ていて、私のなかの「人を測る物差し」が、少しずつ変わっていきました。

そしてあるとき、ふと手に取った一冊の禅の本に、その答えのようなものが書いてあった。

今日はその話を、少しゆっくりと書いてみたいと思います。

「使える」「使えない」で測られる、新人たちのこと

病棟に新人が入ってくると、いつの間にか先輩たちは品定めを始めます。

「あの子は飲み込みが早い」 「あの子はちょっと使えない」

口に出さなくても、空気にそういうものが漂う。

本来、人を「使える」「使えない」で測ること自体が失礼な話なのに、現場の空気はわりと正直で、ときに残酷です。

そんな中で、私の前に対照的な二人の新人がやってきました。 仮にAさんとBさんとしておきます。

Aさん、いわゆる「使える」新人

Aさんは、1回教えただけですぐに吸収する人でした。 仕事の覚えが早く、動きも機敏。即戦力として、周りからすぐに重宝されました。

「Aさんなら任せられる」 「Aさん、よくできる子よね」

そう言われるたびに、Aさんの表情には少しずつ自信が滲んでいきました。

Bさん、いわゆる「使えない」新人

一方のBさんは、少し不器用で要領が悪い人でした。 何度教えても、なかなか手が動かない。自信がなさそうで、声も小さい。

半ば呆れられているような空気が、たしかにあった。

「あの子、大丈夫?」 「ちょっと、ねぇ……」

そんな囁きが、本人のいないところで何度も交わされていました。

「できる」と評価された人が、いつの間にかしていたこと

最初、Aさんは普通にBさんと接していたように思います。

けれど、周りから持ち上げられる日々が続くうちに、Aさんの中で何かが少しずつズレていきました。

「私はできる側」 「あの人はできない側」

その線引きが、いつの間にか態度に滲むようになる。

人のいないところでBさんにキツイ物言いをしたり、わざと無視をしたり。

できる自分を確かめるために、できない誰かが必要だった——今になって思えば、そんなふうに見える瞬間がたしかにありました。

Bさんはとても傷ついていたけれど、うまく距離を取りながら、コツコツと自分のペースで仕事を覚えていきました。

派手さはないけれど、患者さんへの声かけはやわらかく、誰も見ていない場所での気配りを欠かさない人でした。 時間はかかったけれど、その積み重ねを、周りはちゃんと見ていた。

一方のAさんは、相変わらず仕事はよくできて、イキイキと働いていました。 でも、Bさんにしたのと同じように、次々と入ってくる新人を影で値踏みし、選別し、いじめるようになっていきました。

最初から評価が高かったからなのか、Aさんは人から注意されることに慣れていなかった。 やんわりとした助言も、否定として受け取ってしまう。だんだん、誰もAさんに何も言わなくなった。

人を選んでいじめているつもりでも、その傲慢な態度は少しずつ表に滲み出てくるものです。 気づけばAさんの周りから、人が静かに離れていきました。

歩み寄るAさんと、変わらないBさん

孤立し始めたAさんは、ある日、Bさんに話しかけるようになりました。

打算なのか、寂しさなのか、ほんの少しの反省なのか。本当のところは、私には分かりません。

ただ、Bさんは、他の人にするのと同じように、にこやかに、ふつうにAさんと話していました。 過去のことを蒸し返すでもなく、媚びるでもなく。

その姿を見て、ふと思ったんです。

「仕事ができる」と思っていた人にも、見えていない面がたくさんあって、 「仕事ができない」と思っていた人の中には、人を簡単に切り捨てない、静かで大きな器があった。

どちらが優れているとか、劣っているとか、そういう話じゃない。 ただ、私たちが見ていたのは、ほんの一部だけだったということ。

こういう人間関係って、どこにでもある

書きながら、ふと思いました。

——これって、私の職場だけの話じゃないなぁ、と。

「できる人」と「できない人」で線を引く。 「使える人」と「使えない人」で人を測る。 評価された人が、いつの間にか傲慢になっていく。 静かに見えた人が、実は一番、芯が強かった。

この構図、職場でも、学校でも、ご近所でも、家族の中でも、どこにでも転がっています。

私が病棟で見たAさんとBさんの話は、たまたまそこで起きただけ。 場所を変えれば、いつでもどこでも、誰かが同じことを経験している。

そして、ここからが面白いところで—— この手の悩み、千年も前から人はずっと抱えていて、しかも、もう答えが出ているのです。

禅が千年前に答えていた、二つの言葉

きっかけは、ある一冊の本でした。

枡野俊明さんの『あらゆる悩みが消えていく 凛と生きるための 禅メンタル』。 曹洞宗の禅僧で、庭園デザイナーとしても知られる方が書かれた本です。

ページをめくりながら、私はずっとAさんとBさんのことを考えていました。 禅の言葉のいくつかが、あの二人の姿に、不思議なくらい重なって見えたのです。

莫妄想(まくもうぞう)——「妄想することなかれ」

禅の世界に「莫妄想」という言葉があります。 「妄想することなかれ」という意味です。

目の前の人を「こういう人だ」と決めつけて、勝手に物語を作って、勝手に評価して、勝手に距離を取る。 その全部が、もう妄想なのだという。

「あの人は使える」 「あの人は使えない」 「あの人は私を見下している」 「あの人は私の味方ではない」

——私たちは一日中、妄想ばかりしているのかもしれません。

Bさんは、たぶんこれをしなかった人でした。 Aさんを「ひどい人」と決めつけて固めなかった。 過去のAさんと、いまのAさんを切り離して見ていた。

それは、許したというより、「決めつけない」「引きずらない」ということだったのかもしれない。

看脚下(かんきゃっか)——「足元を見よ」

禅にはもうひとつ、「看脚下」という言葉があります。 「足元を見よ」という教えです。

他人の「できない」「しない」を見ているとき、私たちの目線はずっと外に向いている。

そうではなくて、自分の足元——「私はいま、ここで、どう振る舞うか」に目を向けなさい、と禅は言う。

Bさんはずっと、自分の足元を見ていた人でもありました。 人と比べず、評価に振り回されず、自分のペースで、自分にできることを、ただ積み重ねていた。

Bさんは禅を学んでいたわけではないと思います。 でも、結果として、禅が千年も伝えてきたことを、そのまま生きていたのだと思う。

千年経っても、人は同じことで悩み続けている

不思議なのは、こういう答えが千年も前にすでに出されているのに、私たちは今も同じことで悩み続けているということです。

「あの人が嫌い」 「あの人にこう言われた」 「私のこと、どう思ってるんだろう」 「なんで私ばっかり」

きっと、平安時代の人も、江戸時代の人も、同じように人間関係でクヨクヨ悩んでいたんだと思います。

人間って、千年経ってもあんまり変わっていない。

だからこそ、千年前の人が残してくれた言葉には、今の私にも効く成分が、ちゃんと残っているのでしょう。

凛と生きるとは、強さではなく、手放すこと

「凛と生きる」と聞くと、背筋を伸ばして、強くあらねば、と気負ってしまいそうになります。

でも、たぶん違う。

凛と生きるというのは、強くあることではなくて、余計な物差しを、そっと手放していくことなのだと思います。

  • 「できる」「できない」で人を測らない
  • 「好き」「嫌い」で過去を引きずらない
  • 他人の足元ではなく、自分の足元を見る

それだけで、心はずいぶん軽くなる。

仕事ができない、しない人と組んでしんどい日もあります。 そんなときは、その人の「できない、しない」に注目するのではなく、そこで自分がどうするのか、に焦点を当てていきたい。

そう思えるようになったのも、Bさんのような人に出会えたから。 そして、千年前の禅僧たちが、私たちのために言葉を残してくれていたから。

ありがたく借りながら、今日も静かに、自分の足元を見て生きていきたいと思います。

この記事を書くきっかけをくれた本

『あらゆる悩みが消えていく 凛と生きるための 禅メンタル』 枡野俊明 著(飛鳥新社・2025年)

「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた曹洞宗の禅僧、枡野俊明さんが、現代を生きる私たちに向けて書かれた本です。

人と比べない、反応しない、振り回されない——そんな「凛とした生き方」を、48の禅の言葉とともに、やさしい目線で教えてくれます。

職場の人間関係に疲れたとき、誰かの言葉が忘れられないとき、そっとページをめくると、心の余計な力が抜けていく。そんな一冊でした。

紙の本もいいですが、私はこの本を Audible(オーディオブック) で聴きました。

落ち着いたナレーションで、内容がすっと心に入ってきます。家事をしながら、通勤の途中に——最近はもっぱら“耳活”で、聴きながら読書をしています。

とても大切なことなのに、日々の忙しさの中で、つい忘れてしまう。そんな気づきを、そっと思い出させてくれる。心が洗われるような時間でした。

💡 Audibleは初回30日間の無料体験があり、期間中の解約なら料金はかかりません。「まず1冊、耳で聴いてみる」のにちょうどいいです。